Archive for July 21st, 2011

July 21st, 2011

『ポン』

季節の風物詩5〜労働者の権利

五月の風物詩は『ポン』、米菓子のポンか又は麻雀のポンか、その実は橋。

日本で言う所のゴールデンウィークは、フランスのGRAND WEEKEND、 大型連休なら5月。週末を挟んで連休にし、どこかへ出掛ける、又は家でのんびり。あまり仕事のはかどらない月。でも”連休にする”とは?つまり、自動的にはゴールデンウィークのような大型連休にならない。『ポン』しないといけない。

フランスの連休事情はというと、まず労働者にとって、ラッキーな年とアンラッキーな年がある。それは、祝日がどの曜日にはまるかで決まる。というのも、フランスでは振替休日が無い。だから、祝日がやたらと土日にはまってしまう年はアンラッキー。有給休暇の日が少なくなるし、普通の週末と変わりない。大いに損したかんじになる。でも振り替えて帳尻を合わせる事はしてくれない。

逆にラッキーなのは木曜日に祝日がはまる年。金曜日に有給を取って4連休にする。ついでに月火水と取れば、前の週の土曜日からで9連休。さらに、その前の週の金曜日も有給を取れば、11連休。さらにさらに…と続くわけだ。これを『ポン』と呼ぶ。休日と休日に橋を架ける。5月は祝日が多く、飛び石連休状態になりやすい。石に橋を上手にかけてやると素敵な連休の出来上がり。

こんなことが会社で許されるのかと疑問に思うかもしれないが、余裕で許される。労働者の権利だから。皆やるし当たり前のかんじ。もちろん前もって交渉しないといけないし、嫌みの一つも言われる可能性はあるが。
同僚フロランスは、彼女のボスに『ポン』で大型連休を取る相談をしたところ、「シャンパーニュを皆に振る舞うならいいよ」と言われたらしい。そのシャンパーニュ、キリット冷やしていただきましたが、ボラボラ島だったかタヒチだったかに行く彼女、それくらいのパンチは浴びせられても平気だろう。しばらく欠勤していたようだが、気がついたらいつもの作業台の前にいた。日焼けと増えたタトゥアージュ以外はいつも通り。

「有給をとるのは労働者の権利」フランス人の旦那様が日本で働いていた頃、会社の日本人ボスに言われた言葉。彼もそう思って有給を使っての連休を申し込んだ。のだが、この言葉の後にこう続いた「だが、義務ではない。」『ポン』失敗、日仏の溝に橋は架からず。

興味深いのは、この”労働者の権利”、日仏で意味合いが大きく違ってくる。フランスでは”権利”なので守られなければならず、転じて有給休暇は義務となる。
銀行で働く知り合いのドゥニーは、ここのとこ会社を休んでいる。だからといって出掛ける予定はないし、手持ち無沙汰で退屈しているそうだ。仕事は順調で乗っている今、仕事を休む理由が彼にはない。でも、一年の区切りとして定められた期日までにその年の有給を使う必要がある。”権利”があるのだから。ちなみに、会社は未消化の有給分を賃金で支払う方法もあるのだが、そうしたくない。だから有給を使う事は、会社と良い関係を保つ上で義務となる。

対照的に、日本では有給休暇を使用できないのが当たり前のかんじかもしれない。こんなことに抗議するためにも、労働の日、5月1日がある。デモ行進、マニフェスタシオンはフランスの十八番、もっとも最近は盛り上がりに欠けるらしい。その話はまた別の機会にするとして、メーデーの日はスズランの日でもある。駅周辺は3メートル間隔でスズラン売りが並び、それこそスズなり。夕方になるとこぞって1ユーロ1ユーロと連呼し、市場の叩き売りのような様相をみせる。でもその甲斐あってか、道行く人の手に手に、スズランの小さなブーケ。

これはそんなかわいい日に起こった、街角の一コマ。

そもそも、たちの悪そうなスズラン売りだったのに、買おうと思ったのがいけなかった。顔が浅黒く、ひょろっと背の高い若者、彼のスズランも一本ひょろりと鉢植えで5ユーロ。「2ユーロなら」それで話がついた。
スズランを受け取りつつ、2ユーロ硬貨を手渡す。が、とっさにこっちは硬貨を離さず、あっちはスズラン離さず。しっかり掴み合って両者譲らず、道の真ん中でがっぷり4つ。力では圧倒的に不利、相手の顔は笑っている。結果、土が付いたのは地面に叩き付けられたスズラン…。

2ユーロはもぎ取られ、スズランも手に入らずじまい。これはくやしい、どうにかして一矢報いてやりたいところだが、さらに後悔することになっても困るので、ここは引き下がっておこう、今日はこのぐらいにしといたろ。それはそうと値切りすぎたのか。

何はともあれ、せっかくの連休のチャンスなのに、出掛けもせずに家の近所で2ユーロを取り合うなんてしみったれている。パリで小さくまとまってる場合じゃない。でも生きてるってかんじ?万歳、労働者階級。

5月は気候も良い、『ポン』して都会を離れたい。山に行けば、スズランもそこら中に咲いている。特別に美しい一本を選び愛する人に贈れば、心に橋をかけるかも。

プチフランス語講座:pont [ポン](橋)
muguet [ミュゲ](スズラン)

July 21st, 2011

『やっぱりお花見』

季節の風物詩4〜フランスの中の日本

四月の風物詩は『お花見』、フランス的には桜の木の下でピクニック。

パリで桜といえばパークドソーparc de sceaux 、桜が見事な公園。そう聞いたからと訪れてみると、ソー公園内は広く、桜の木が植わっているのはどうやら敷地の極一部。日本のように親切に「こちらが桜の場所ですよ」と示す目印など当然無く。なので、どの方向へ歩いて行けば良いのかわからない。
ところが耳をすましていれば迷う事なく行き着けるとくる。耳?鼻ならまだしも、それこそ花の香りがするとかね。なに犬じゃあるまいし。いや、だから簡単な話。日本語が何処とも無く聞こえて来たら、それについて行けば良い。

4月の陽気で公園はかなりの人出。そんな中でも、母国語センサーは、犬の鼻なみにするどく日本を嗅ぎ分ける。というか日本語に反応せずにはいられない。切れっぱしの会話が、ふと横切った香りに気付くように意識の中に飛び込んで来る。

お目当ての桜を特に探すということも無くフワフワ歩く。行楽日和、家族連れも多くのんびりムード満点。そのせいか、リラックスして来て脳がフランス語の解読をしたがらない。耳には、次第に際立って来る日本語、導かれて、無事、桜の木の下へ。

そこは、ちょっとした日本人村状態。フランス人もわずかに見受けられる。両者共に、敷物をお尻の下に敷いて、お弁当を食べて、輪になってだんらん中。つまりお花見ですね。パリにいようと花は咲く、申し合わせたように集う姿が微笑ましいではないか。ちなみに、隅っこの方で誰かが木の根方に寝そべってるのを見つけると、大抵がフランス人カップル。ああロマンチックだ。お弁当もお尻の下の敷物もないようだが、酔っぱらって休んでいるわけではない。

パリの日本と言えば、オペラ座近くの rue Sainte Anneサンタンヌ通り周辺、日本関係のお店が立ち並ぶ。寒い日にはおうどんを食べたり、暇つぶしに日本の雑誌を立ち読みしたり、お陰で意外とホームシックにかからない。ちなみにこの地域はジュエラーに言わせると、ジュエリー下請けアトリエ街だ。もっとも、時代とともに多くの工房が閉めてしまったらしいが。街は、所属しているコミュニティーによって見え方が違ってくる。

在仏5年目の春、パリの桜も5度目。今や、仕事先で会うのは皆フランス人、歯の詰め物が取れたならば近所のフランス人歯医者へ、妊娠したらフランス人妊婦に混じって出産準備水泳教室へ。関わりを持つ共同体の比重は、日本からフランス社会へと確実に移り…。渡仏直後に語学学校で知り合った日本人友達は大方が帰国した。そして同時にフランス人の友達が出来た。こんなふうに新たな居場所を見つけて行くのだけど、それでもなお、だからこそ在仏日本人社会の存在を感じると心強い。なぜなら、フランスでは移民なのだから。フランスで生きる覚悟をし、まだ死ぬ覚悟はないのだけど…同郷そんな言葉が響きを増し出し。

一般的に言うとフランス人は、『お花見』なんて知らないよってなもんで、桜に対しても特別な感情移入はない。ところが、ここでは文句なくパリ4月の風物詩。”誰かさん”が見つけたパリだもの。

パリの桜も、日本の桜同様に人を開放感でウキウキさせてくれる。だけど、妖艶さや、不思議なあやうさを感じさせない。桜の下でふと涙が出て来たり、意識が遠のいて、気がふれそうなかんじに落ちることはない。この感覚こそ桜なのだけど、それをフランス人に説明するのは難しい。忘れがちだけれど桜はサクランボウの木の花である。そして大抵のフランス人は、この花のむしろ実の方に興味がある。

フランスでは桜というと日本、エキゾチックなイメージがある。そして石を彫刻しジュエリーを作るのが私の仕事。桜の花をモチーフにするからと、石選びから相談された。そのうちの一つのために選んだ石はローズクウォーツ。一口にローズといっても色合いは様々。ピンクでもなく紫でもない、微妙な灰がかった色合いを提案、それでサクランボウの花ではなくて、日本の桜を作りたいと申し入れた。
以前に手掛けた桜のジュエリーは、オパールローズ製。それはそれはロマンチックで私のボス、”フランス人”フィリップの世界が濃く反映された。だからそれに対して、”日本人”の私、の思う桜を表現してみせたかった。

パリの桜はいずれ、郷愁の桜としてジュエリーになるのだろうか。

じゃあ後でね、と言い合ったお花見のお相手がやってこない。間違いなく桜の下に居るのにな、おかしい。電話をかけると場所を間違っていたらしい。実は、白い桜の庭と濃いピンクのに別れていて、それらは少し離れた場所にある。