Archive for July 20th, 2011

July 20th, 2011

『スペシャリストの手によって』

プロフェッショナルな世界のこと3〜C******、パンテールのように

Dessinateliste、Modéliste、Fondeur、Bijoutier、Joialliere、Sculpteur、Lapidaire、Sertiseur、Graveur、Polisseur、Plaquer、Fileteur

これらは全てビジュー製作に関わる職業名で、ざっと挙げてみた。小さなビジューだが、ウィンドーや写真でみるだけでは想像出来ない、たくさんのスペシャリスト達の手によって作られている。

そして、ビジュー製作の流れは大まかに言うとこの通り。

まずデザイン画、マケット作り、ワックス原形作り、鋳造。金属に変わったこれの地肌、形を整える。宝石を留めるための準備をし、飾りを施す。留め金部分やしかけの細工をしたり、全てのパーツが巧く組み立てられるように調整する。その一方で宝石を必要な形や大きさにカットしたり、彫刻する。そして、石留め、磨き、模様や文字彫り、色の調整を行い、組み立てて出来上がり。

このように複数のスペシャリスト、多くの工程で成り立っている。職種ごとにそれぞれ独自にアトリエを構えているので、ジュエリーはいくつかのアトリエを完成までに巡ることになる。

また、一口にアトリエといっても様々で規模やスタイルに違いがある。例えば大きなメゾンの専属下請けとして、シリーズ物を手掛けるアトリエもあれば、コレクション用の一点物を扱うアトリエもある。一工程だけを扱うアトリエがあれば、また大きく全体をカバーするアトリエもある。

「C******のアトリエで働く事がビジューティエとして最高に名誉なことで、自分はそのためにキャリアを積んだんだ」と語るC******の職人のインタビューを昔読んだ。C******の宣伝雑誌だったんだろうけど、心に残っていたので同僚に聞いてみた「それは本当か?」と。ところで、大きなメゾンは外に下請けアトリエを持ちつつ、社内に自前の職人を抱えるのが普通。C******のアトリエとは社内の工房のこと。C******の社員である。さて答えは、同僚によると、名誉だろうが退屈かもしれないとのこと。作業の細分化が進んでいると聞いた。つまりその結果、品質と共に効率の向上が測られているのだろう。でも、いつも同じ工程部分を担当するのみなんてつまらない。出来るだけ広い範囲の工程を受け負う方が、作業の種類に幅が出来て飽きない。同感。それに、なにより広い視野でビジュー製作に関われる。その方が好き。

またビジュー製作には、物理的な作業以前に、ブランド自体を扱う作業が存在する。C******のような、大きく古いメゾンでは特に重視される。ブランドの伝統と責任感がビジューと一体になって輝くためには外せない。だからここの働きが ”C******のビジュー” を創ると言える。

しかしその一方で、リーダーシップや誰かの輝かしいひらめきは活かされず、綿密な会議があまりに強い役割を果たしている印象がある。大きな組織は組織すること自体に莫大なエネルギーを使うのだろう。

コミッションを通過しなかったために、計画が一時期止まっていると聞かされる。また、忘れた頃になってディレクターからOKが出たとか出なかったとか。お客様にうけが良くてもC******らしくないなんて営業部の意見が聞こえて来たり。製作に直接携わらない部分の影響力は大きく、かつそれをこちらからは予測できない。

仕事の進み具合がどうであろうと、節目には計画をこのまま進めるのか、それとも変更をするのか、製作現場を離れたとこで検討されるのが常。それらの働きが必要で重要な機関であることは間違いない。が、時として重い。やる気があって士気が上がっているのに、のしのしと歩かされているかんじ。待ってる間にインスピレーションも熱気も逃げて行く。もう少し管理を緩めて身軽に動かせてくれてもいいのに。こっちもプロフェッショナルなのだから。それに、こういう委員会が行われる場所こそクリエイションを行う職業として位置づけられているのはどういうことか。メゾン全体の方向づけとビジュー自体の製作は質の違う仕事。だけど両方がうまく噛み合ってこそ双方共に生きて来る。だったらどちらもクリエイティブな仕事じゃないか、でもそうは認められていないと感じる。もっと自由と尊敬を感じたいとこだ。

C******クラスの完成度を持つ正統派ビジューは、最初からその姿で存在し続けてきたかのようなすました顔をしている。でもこの世の物は例外なく、この世に陰も形も無い所から始まる。こんなことを思うと見えて来るのは、C******の歴史が持つ魅力と重苦しさ。たった今製作しているビジューであっても、それ自身が存在する以前から続いて来たブランドの歴史をビジューは既に背負っている。

なんてクラッシックな世界、パンテールのように軽やかにね。

プチフランス語講座:
commission[コミッション](委員会)、création[クレアッシオン](創造)
classique[クラッシック](正統派の、古典的な、伝統的な/模範的な、典型的な)
panthére[パンテール](彪)

July 20th, 2011

『それはまるで舞台のよう』

プロフェッショナルな世界のこと2〜J**、top top

昔、パフォーマンスに関り、舞台美術をしていた頃にぼんやりと思った。”スペクタクルみたいな”展覧会 があれば面白い。でも、具体的なアイデアは何も無く、イメージだけがあった。まだビジューに関わる前の話。”スペクタクルみたいな”それは、こんなかんじ。

舞台はお客さんとの待ち合わせ、その時に集うかんじが喜びとなる。舞台上から、舞台裏から、そして客席から、それぞれの気分が一時に持ち寄せ合わされる。外界としばし隔離された劇場の、そんなかんじに特別な音色を聞く思いがする。それはもうスペクタクル。その日の興行の内容をも大きく包みこんでいる空気感を味わうのが好き。

J**のブティックを訪れた時、その昔の思いつきが頭をよぎった。そこはブティックというよりも劇場のよう。部屋は薄暗い小さな重厚な箱、ショーケースは一切なく机と椅子が置かれている。机の上に光が灯り、劇場内のごとき部屋をわずかに照らす。そしてお客様が来場し、幕が上がる。奥から次々にビジューが現れ、スポットを浴びてキラリ、深い陰を伴って浮かび上がる。お客のため息が聞こえる「マ•ニ•フィック…」。机を舞台にきらびやかなスペクタクルのはじまりはじまり…。

でも実はこのJ***のスペクタクル、頭の中にあるだけでまだ見た事は無い。私はお客ではなく舞台裏に訪れただけだから。暗くて埃っぽい、薄汚れたような壁の部屋は、まさに幕が開く前の白々した劇場の空気を持っている。机の上の照明はまだ点かず、隣の部屋から開いたままの扉ごしに無造作に光が差し込むのみ。机の隅っこに鉱物の原石や珊瑚。そして、このさら奥にも部屋があるようだが、扉はいつも開かずじまいで中はわからない。やはりビジュー達の控え室なのだろうか?

それでもやはり想像力は掻き立てられ、勝手に展開したスペクタクルは夢のような…そのまま幻想の世界。それだけ、J**のビジューは詩的な響きに満ちている。

ちなみにこの世界の要を奏でている旋律は、ここからとても近い所から、ここよりもっとはっきりと聞こえて来るのだが、なぜかそんなものは無い事になっている。”すごいのは一人”との演出なんだな。とにかくJ***J**、top top

プチフランス語講座:
le spéctacle[スペクタクル](光景、興行、演出)、magnifique[マニフィック](素晴らしい)

July 20th, 2011

『ジュエリーだって熟成させる』

プロフェッショナルな世界のこと1〜D***、ブリンッBリンッ

”J’adore D***”、フランス語なんて出来なくても解るはず。それくらいこのコピーは氾濫していて、そして、いつ聞いても苦笑を誘う。

こんなD***joaillerieのビジューコレクションの魅力は悪趣味につきる。わざと伝統的な趣味の良さや、エレガンスを避けてくる。ギリギリまでボリューム感を効かせてブリンッとやるのがD****っぽいというか、créatriceV*******好みか。デザイン、細工、石と、ビジュー製作に於ける全ての要素のクオリティーを、一定の水準に保つ本物のジョワイエリーがやるからこそかっこいい。保守的になりがちなジョワイエリーの世界だが、その中で抜きん出た存在。勢いを感じる。

アトリエの仕事で手掛けたD***のコレクション用の指輪、やはり、例外的に大きくブリリリンとミカン大。こんな指輪をつけた日には、肘掛けの付いたフカフカのソファーに腰掛けて、手にビズを貰うくらいしかできない。ところでこの指輪、もう随分前に製作を開始したものの未だに完成していない。というのも、コレクション用のビジューは、何度も変更や調整が行われるので最後の最後までどうなるかわからない。その上、これには前例の無いちょっとした仕掛けがあって、仕事は難しかった。それにしても、あまりにも時間が経ちすぎているように感じるこの頃である。完成した姿をみるのが楽しみなのだが…。

あれはかれこれ2年程前に一度私の手元を離れ、そして消息を断った。その後忘れた頃にボロボロの姿で戻って来ては、また出て行ってを繰り返し、最近になってまたアトリエで再会した。いくつかの計画の変更が伝えられ、今後は完成に向けて進む予定らしい。ずっと気にしていたので、知らせを聞いてほっとする。でも、どうしていたのか?何があったのか?ボスに訊ねてみた。が、結局のところ、あまりにややこしい事情が重なりすぎていて、追求しない方が良さそうな雰囲気…。

つまり、ビジューだって世間にもまれることがあるということだ。人の私が何十年後かにこの世からいなくなっても、彼の方はまだまだ顕在のはずだし、またそうであってほしい。だからこの2、3年の、私にしてみれば心配し、また少しイライラさせられた空白の期間も、彼の人生にしてみればたいした年月ではない。もしかしたら、人知れずひっそりゆっくり寝てたい時であったのかも。どこで何がおこなわれていたのか?私には知る由もなく。人もビジューも熟成されて育つ。

プチフランス語講座:J’adore ~ [ジャドー](とても好き)
créatrice [クレアトリス](女性の作家デザイナー)
bijoux[ビジュー](宝石、装身具)