前後書き

☆ちいさなアルバム

パリビジューティエの12ヶ月

 

こんにちは、ベルエピです。『パリビジューティエの12ヶ月』は、パリでジュエラーになった私の冒険劇です。私は彫金作家でしたが、パリに来てジュエリーアトリエでお勤めをしました。彫金を通じて培った感性をここでは一度捨てる必要があり、それは非常に困難で自分が否定されたような感覚さえありました。その一方で新たに沢山の物事に出会いました。美しい宝石、金具、工具、ヨーロッパの感性、技術、ジュエリーのプロ達が、どちらかというとジュエリーに否定的なイメージを持つ私に本物のジュエリーの世界の扉を開けてくれました。この体験は私の宝物です。沢山の人に分かち合いたいと思います、特にジュエリーを愛する方達にこのアルバムを捧げたいです。彼らがジュエリーの世界を支えています。またジュエリーの大嫌いな方達へも届く事をねがいます。もしかしたら興味を持って貰えるかもしれませんから。

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私の夢はジュエリーの世界をもっと面白くすることです。そのために、ジュエリーについて語る事に決めました。まだあまり理解されていない部分がジュエリーを楽しむ事を妨げていると感じるからです。

ジュエリーの世界は使用される石の価値に目が向けられます。高価であれば有る程、私達の態度は極端になりがちです。つまりジュエリー好きは感嘆し、ジュエリー嫌いはバカバカしいと嫌悪します。だけども、ここで言います。ストップ!見えているけれど見ていない世界にお気づきですか?

説明します。これはジュエリーに携わる者の仕事です。こちらとしてはわざわざ言う必要が無い当たり前のことと捉えていましたが、それは完全に間違いでした。

本当に高価なジュエリーは技術の粋が集められ、全て手作業です。全てです。小さなパーツのワッカ一つからしてそうです。丁寧な工程を経たジュエリーは、流れ作業で工場から生み出される品とは全てにおいて一線を画します。そういった品が作り出されるためには、手から手と技術が継承されなければいけませんし、それを支えるジュエリーの文化があって実現し得ます。こういう時間もお金も掛かる悠長な事を、今の時代に先進国がやっている事自体まずお見事ではないですか。

目前にあるジュエリーを細やかな目で見始めると、以前とは違った側面も浮かび上がって来ます。どうやって作られたかです。つまり、例えば手に取ったジュエリーは、誰かの喜びが詰まって出来たジュエリーかもしれません。私はアトリエの隅で出来た!と大喜びする同僚を祝福してその同僚がおでこにキスするのを見ました。何だかうれしくて卒倒しそうになりました。もっともそんな素敵シーンに出くわすことは珍しく、むしろダメ!とか言って半ば投げやりだったり、反対に周りにアドバイスを求めて必死になっていたりといった風景の方が常ですが、それら積み重ねがキスに繋がっているのが真実です。もし、自分のジュエリーがそのキスのジュエリーだったらうれしくないですか?良いバイブレーションを持っていそうでないですか?ダメと言っている品でも、最後は必ず一定の完成度まで持って行かれます。それがプロの仕事です。仕事で壁にぶつかる毎に腕を上げて行くのです。もしそのダメのジュエリーと知っていたら、それを手にする事で力強く感じられそうじゃないですか?いよいよ言いますが、本気で取り組まれたジュエリーには力があると信じます。なぜなら、目には見えませんが、単なる製作工程とはいえここでの人と物の関わりはとても密で深いのです。小さな小さな、まだ光りもしていないメタルや石の欠片を、私達ジュエラーがどれほどの長い時間どんな思いで手にしているか想像したことがありますか。取り組んだ者の手と自信は育ち、次の世代へジュエリーの文化を伝えます。そのジュエリーを手に入れる事でジュエリーの世界の土壌を育てています。文化を継承する土台を支える事が出来ます。

私がここまで説明して来て、是非主張したいのは自分のジュエリーを選ばなくてはいけないのではないですかということです。今回エッセイを書く事でジュエリーの事をもっと知ってもらい、このメッセージを解りやすく感覚的に伝えるという使命を自分に課しています。見ていない部分と見えない部分の話ですので、なんだかんだと理屈を言ってみても、てんでピンとこないし、論理的でもないし、何も動きません。アルバムでは、体験を語るからこそ伝わるものに期待して、出来れば追体験できるくらいに臨場感をもって語り、ジュエリーはまるで手元を覗くようにお見せしたい。そしてまじめに提案したい、ジュエリーにもっと夢をみませんか。

夢の一方で現実問題として、本物のジュエリーを扱うには資金が必要です。品質を管理し、次の世代を育成し未来へ繋げる責任を担いつつ経営が振るわなければいけないのですから。だからそれが出来る大きなメゾンはその役割を無条件に引き受ける責任があります。言い換えれば、大きなメゾンが頼みの綱でなのですが、その一方で困った事に小さなクリエイターが彼らの陰に隠れてしまっています。確かにジュエリーは石や金属の価値を保証できる事が重要なので、その点については間違いないというか、安心感を与えてくれる名の通ったメゾンのジュエリーを人が求めてもおかしくありません。こういった事柄、いわゆる課題に対しても、お話して出してく事で何か良い展開を期待します。

このエッセイでは、バンドーム広場の住人としての経験を語っていますが、私はもともとは、自分のオリジナルジュエリーを持つクリエイターです。今また再確認するのですが、突極のジュエリーは、個人に向き合って作られたジュエリーだと思います。ジュエラーとそれを着ける人が共に育つような関係が当たり前になればもっとジュエリーの世界が面白くなると思います。一方ジュエリーをつくるのがジュエラーの仕事という考えが一般にありますが、今出来る事、私にしか出来ない事としてこのエッセイに取り組んでみました。自分の魅力が花開くというかんじがしてワクワクしています。魅力が花開く、これは私のジュエリーのテーマであります。こちらもいずれ分かち合える時が来るのを楽しみにしています。

最後に、書く事に関しては全く自信の無い私ですが、「楽しむこと」「感謝する事」「誇りに思う事(fier)」をモットーに取り組みました。そこらを汲んでいただいて優しい目でどうぞご覧下さいませ。

 

Parisファインジュエリーの世界のそんなこんな、

ジュエラーbelepiの瞼ごしに覧ください。

お楽しみくだされば幸いです。

 

ではレッツゴー

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